その1 我が家にマイコンがやってきた!

 <それは、小6の夏のある日、うちの母親が「パソコン買うぞ」と突然言い出したことからはじまった。>
 
 その当時ナイコン族だった私は、同じマンションに住む一つ年上の「ふくちゃん」の家にあった88mkUを学校が終わるといつもやらせてもらっていた。はやっていたのは「野球狂」や「ちゃっくんぽっぷ」だった。ごはんだからと追い返されるまで、目をキラキラさせて88をやっていた。ふくちゃんの友達が来ると年下の私にはゲームの順番が回ってこなくなったが、後ろで2時間でも3時間でも飽きずに画面を見守っていた。今考えるとこのときが一番ゲームに没頭していた時期だと思う。
 
 ゲームの楽しみ知ったのは同じくふくちゃんに小4の時から連れて行ってもらっていた駅前の「ゲームセンター」でだった。同級生がドッヂボールなどを校庭でやっているのをいつも横目で見ながら、駅前の盛り場へ上級生と繰り出しアーケードゲームをやっていた。「ゼビウス」「ボンジャック」「アッポー」などお金がなくなるまでやっていた。
 当然お小遣いはなくなり、おばあちゃんの財布から何度か失敬したこともあった。見つかって殴られもした。学校でも不良とみんなから呼ばれるようになっていた。でも自分では、みんなの知らない「ゲームの世界」を盛り場で夜遅くまで毎日満喫していたことで、少し大人になった気分で悦に入ってもいた。
 
 そんな日々が続いた小6の春、ついに夜のゲームセンターで補導員に声をかけられた。みると知っている近所のおばちゃんだった。そして学校ではゲーセン出入り禁止令。私は皆とドッジボールをやり始めた。なんだかいい子になった気がした。でも何か釈然としないものがあった。ただ単純にゲームがやりたかった。

 母親は、そんな私を見て当時高額だったパソコン(マイコン)を買ってあげようと思ったらしい。そして「パソコン買うぞ!」と言い出したらしい。
 
「もう人の家にいって煙たがられなくていいよ。夜の盛り場に行かなくていいよ。」
そう言っている気もした。でも私は単純にパソコンが買ってもらえる!ただそれだけで大喜びした。

 家はそんなに裕福ではなかったので、パソコン選びは金額的に自分の中で「PC6001mkUSR」か、出たばかりの「MZ-1500」か「FM-new7」が妥当かな、と思っていた。毎日穴があくほど「ベーマガ」の「九十九電機」のページを見たり駅前の「ラオックス」で実際に触っていたりした。ついでにMSXで「イーアルカンフー」もやっていた。

 でも本当は88が欲しかった。家でも「ちゃっくん」や「野球狂」をやりたいと思った。広告では88が一番輝いて見えた。
 
 そして、夏休みも終わる頃、「パソコン買っちゃった。」といういきなりの母親からの電話。「えぇー」私に相談もしないで、何を買ったんだ?安いMSXか?ぴゅう太はいやだ。何だ?


 数日後、学校から帰ると玄関には大きな箱が2つ。箱の表には「PC-KD852」と「PC8801mkUSR」と記されていた・・。  (つづく)

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